新しくできた「起宿高札場跡」を見に行ってきましたよ。(8月7日)
- 公開日
- 2023/08/07
- 更新日
- 2023/08/07
起っ子
歴史民俗資料館の北に、「起宿高札場跡」が開設され、5日(土曜日)よりお披露目されましたので、見てきました。
起小学区に新しい歴史的な史跡ができ、地域の魅力をより示すシンボル的な存在が増えました。地域の歴史を学ぶためにも、ご家族で歩いて見に行ってくださいね。
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一宮市尾西民俗資料館のホームページ内にある「起宿高札場跡」より高札場に関係した一部を引用しました。よかったら、参考にされてください。
「 起宿は、その一つである起川の渡船場がある宿場町です。慶長5年(1600)徳川家康が関ヶ原合戦で勝利した後の凱旋時に開設されたという由緒を持ち、江戸時代後期には、本陣・脇本陣が各1軒、旅籠屋は22軒ありました。町並みは起の隣村冨田から定渡船場の金刀比羅社まで続き、その中央付近に幕府の基本法令を書いた高札が掲げられた高札場がありました。
令和5年(2023)、高札場があった付近に、尾張名所図会にある挿絵の「起川」(上図)を参考にして、「起宿高札場跡」(下写真)を整備しました。享和2年(1802)に起宿から幕府に提出された「御分間御絵図御用宿方明細書上帳」によると、高札場の大きさは、高さ一丈四尺五寸(約4.4m)、横幅三間五寸(約5.6m)、奥行五尺七寸(約1.7m)もあり、往来する人々に幕府の威光を見せつける意味もありました。高札場には、徒党やキリシタンの禁止、前後の宿場までの人馬賃銭が書かれた高札など、合計7枚の高札が掲げられていました。
「起宿高札場跡」に整備された高札場は記録よりも小さく、高札は掲げられていた7枚の内、5枚を再現しています。その高札場付近に、宿場町の景観としての特色である枡形があり、ここを境に坂上(上町)と坂下(下町)に分かれます。下町には問屋場や本陣、脇本陣があり、旅籠屋も多く、宿駅機能の中枢を担う家が集まっていました。上町は江戸時代の旧堤防の上に家並みが形成され、宿場開設後、新たに移り住んだ者が多く、木曽川の水運を活かして財を成した商人もいました。」