中部中日記

3月7日(土) 幸せの正体【少年の主張愛知県大会より】

公開日
2026/03/07
更新日
2026/02/01

校長室

中学校に「夢と希望と」をテーマにした「令和7年度少年の主張愛知県大会」の発表文集が届きました。みなさんと同じ世代の子たちが今伝えたいことをぜひ読んでほしい!感じたことを友だちや学校の先生、家族に話してみてほしい!そんな願いからHP記事で少しずつ紹介していきます。今回紹介するのは、豊山市立豊山中学校3年の生徒の作品です。


題:幸せの正体

「幸せになりたい」と思ったことはあるだろうか。おそらく、多くの人が一度は考えたことがあるだろう。私は、幸せとは何か特別なことが起こったときに感じるものだと思っていた。テストで良い点を取ったとき、欲しかったものを買ってもらえたとき、誰かに褒めてもらえたとき。もちろん、それはとても嬉しいことだ。でも、その幸せは、時間が経つにつれ、消えていってしまうように思えた。では、本当の幸せとは何なのか。私がそれについて考えるようになったのは、大好きなじいじとの別れだった。


幼い頃、私とじいじはよく散歩をした。じいじは歩きながら、冗談を言った。「じいじは小さい頃に飲み込んだ飴が、まだ喉に残っとるんだよなあ。」そう言って、喉仏を指差した。幼い私は、本当に飴が入っていると思い、よく触っていた。春は愛犬と走り回り、夏はじいじの家で昼寝をして、秋は公園でたくさん遊んだ。冬は凍った田んぼをしゃくしゃくと歩き回った。「けがするんじゃないぞ。」とじいじは優しく微笑んだ。あの頃の私は、ずっとじいじと一緒にいられると、この時間が終わることはないと思っていた。でも、それは違った。中学校一年の正月、じいじは旅立った。私たちに心配をかけたくないと、余命宣告を受けていたことも、手術をしていたことも内緒にしていたため、私にとっては突然の別れだった。私は、じいじと歩いた道も公園も田んぼも避けるようになった。じいじとの思い出が詰まった場所には、じいじはいないから。二年生になり、久しぶりにじいじの家に行った。とても懐かしく、ふとあの頃が思い出された。すると、ばあばが「散歩しに行こうや。」と私を外に連れ出した。向かった先は、じいじとよく散歩に行ったあの道だった。私は、じいじとの思い出が溢れ出し、涙がこぼれた。じいじは、私の思い出の中に生きていたのだ。


そのとき、私は理解した。幸せは、特別な出来事の中にあるのではなく、平凡な日常の中に隠れているのだと。朝、家族と「おはよう」と言えること。友達と何気ない会話で笑い合えること。大好きな人と散歩すること。そんな当たり前の毎日の中に、幸せは存在しているのだ。そうした小さな幸せを見つけることができれば、日常はもっと輝くのではないか。


では、どうすれば本当の幸せに気付くことができるのか。じいじが亡くなった後、私は三つのことを意識するようになった。一つ目は、小さな感動を大切にすることだ。ご飯を食べたとき、「美味しい」と感じること。素敵な音楽を聴いて、「この曲、好きだな。」と思うこと。そういう小さな喜びをちゃんと感じることができれば、毎日はもっと幸せなものになる。二つ目は、「ありがとう」と言うことだ。家族や友達に「ありがとう」と伝えると、相手が笑顔になり、その笑顔を見た私の一日も明るくなる。感謝の気持ちを伝えることで、自分がどれほど多くの人に支えられているかに気付き、日常の中にある幸せを実感できる。三つ目は、自分の気持ちに耳を傾けることだ。私はこれまで、円滑な人間関係を築くために、自分の気持ちを抑えて相手の考えを優先してしまうことが癖になっていた。いつしかそれが当たり前になり、自分の本心を見失うこともあった。しかし、じいじの死に直面したとき、私は人目を気にすることなく、大粒の涙を流した。そして、時には自分の心に正直でいることも正しいと気付いた。


じいじは、もうこの世にはいない。ただ、じいじの言葉や笑顔、ぬくもりは、ずっと私の心の中にある。それは、じいじと過ごした時間が幸せだったという証拠なのだと思う。幸せは、目には見えないし、特別なものでもない。でも、それに気付き、何気ない日常の中に幸せを探すとき、本当の幸せは姿を現し、そっと私たちに微笑みかける。どこか遠くにあるのではなく、ずっと私たちの傍にある。毎日の小さな幸せを見つけられれば、世界はもっと明るくなる。私はそう信じている。


さあ、行ってみよう。じいじと歩いたあの道に。そうすれば、私の心にいる「じいじ」に会えるはず。そして、じいじと手を繋いで歩いていた頃よりも、自分らしく前に進めるようになった私の姿を見せてあげよう。また一緒に散歩しようね。大好きだよ、じいじ。


(HP掲載について、編集・発行先より許可をいただいています)