3月1日(日) 共に生きる社会【少年の主張愛知県大会より】
- 公開日
- 2026/03/01
- 更新日
- 2026/02/01
校長室
中学校に「夢と希望と」をテーマにした「令和7年度少年の主張愛知県大会」の発表文集が届きました。みなさんと同じ世代の子たちが今伝えたいことをぜひ読んでほしい!感じたことを友だちや学校の先生、家族に話してみてほしい!そんな願いからHP記事で少しずつ紹介していきます。今回紹介するのは、岡崎市立六ツ美中学校3年の生徒の作品です。
題:共に生きる社会
「これ、僕が作ったスケルトン。これは…」
「いきなり何のこと。何のお話してるの。」
「マインクラフトだよ。これがゾンビで…。」
弟の話は止まらない。大好きなゲームのキャラクターをレゴで作って、架空の世界を現実かのように楽しそうに話してくる。小さい頃からそうだ。弟の頭の中には想像の世界が広がっているようで、レゴにはせりふを付けて一人遊びをしていた。でも僕が、
「学校、どうだった。」
と聞くときは、
「…分からない。覚えてないよ。」
漠然とした質問や関心のないことには、なかなか会話が続かない。戸惑う僕に気を留める様子もなく、次の瞬間また自分の話を始める。
弟とは五歳違い、四人男兄弟の四番目だ。三番だった僕は、弟が産まれて兄になれたことがとてもうれしく、誇らしい気持ちになった。かわいくて仕方がなかった。でも、成長してくると、お兄ちゃんだから譲ってあげて。家族からのそんな言葉に、弟ばっかり優しくされて…とけんかすることが増えた。それは、本当に僕の中では日常で、弟の特性を意識したことは一度もなかった。
そんな弟が、僕が六年生のときに入学してきた。入学式の朝、家でぴかぴかのランドセルを背負ってはしゃいでいたが、式で名前を呼ばれても返事はなく、弟が座るはずの席はずっと空いたままだった。なんで。朝、あんなにうれしそうだったのに。そう思いながら帰宅した僕に、弟が体育館に入れずに教室にいたことを、両親は教えてくれた。その横には、いつもと変わらない笑顔の弟がいた。
弟は、経験したことがないことや想像できないことには、不安になり対応することが難しいのだ。弟に「生きづらさ」を抱える障がいがあることは聞いてはいたが、改めてそれを感じた日となった。
でも僕たち家族の日常は、その日を境に変わることはなく、いつも通り騒がしく、にぎやかな日々が続いた。唯一変わったのは、僕の気持ちだった気がする。弟は特別支援級に在籍することになった。困ったら僕が守ると、朝は教室まで連れていくことが日常に加わった。一年後、僕が卒業した後は、母が一緒に登校している。弟は今、四年生だ。耳で聞くよりも視覚で情報を得ることが得意で、テレビを見るときは字幕ボタンを押して、目で字を負うことで情報を補っている。得意なことにはずば抜けた集中力があるから、僕が作れないような立体的な造形物を簡単に組み立てる。僕の機嫌が悪いときに八つ当たりしてしまっても、
「優しい慶君に戻ってほしいんだよ。」
と、顔をのぞき込みながらストレートな言葉を掛けてくる。大好きだよと、家族全員におはようの挨拶くらい自然に伝えてくれる。
僕は、そんな弟の姿を見ていて、障がいを抱える人のその場面、その部分だけを切り取った見方をしていないかと、自分に問うようになった。いや、障がいに関係なく、僕が接するすべての人の一部分だけを見てその人を決めつけてはいないだろうか。「生きづらさ」をもち、困難や戸惑いも多い日々を生きている弟。悲しいこと、苦しいこともあるだろう。でも、にこにこ笑いながら帰ってくる弟。周囲からは少し個性的に映るかもしれない。僕はそんな弟を見ると叫びたい気持ちになる。「弟は、僕よりずっと優しくて素直で、裏表がなくて、手先が器用で…。最高の弟です。」
ダイバーシティー、インクルーシブ社会、多様性、様々な言葉が使われ、社会は差別をなくそうとしているが、僕はその答えがとてもシンプルなことだと思う。『相手を決めつけない。』僕が弟のいろいろな面を知ったように、まずは相手を知ろうと思う。相手の言葉に耳を傾けよう。知りたいことを聞いてみよう。そうすることで、理解し助け合い、協力できる社会が生まれていくのだと思う。
(HP掲載について、編集・発行先より許可をいただいています)