中部中日記

2月1日(日) 言葉の壁を乗り越えて【少年の主張愛知県大会より】

公開日
2026/02/01
更新日
2026/01/31

校長室

中学校に「夢と希望と」をテーマにした「令和7年度少年の主張愛知県大会」の発表文集が届きました。みなさんと同じ世代の子たちが今伝えたいことをぜひ読んでほしい!感じたことを友だちや学校の先生、家族に話してみてほしい!そんな願いからHP記事で少しずつ紹介していきます。今回紹介するのは、豊田市立竜神中学校3年の生徒の作品です。


題:言葉の壁を乗り越えて


「仲間外れにしないで。」

家族四人で夕食を食べていたときに、母が突然ベトナム語で言いました。


私の両親は共にベトナム人です。父は日本の大学を卒業し、日本語能力試験一級を取得しているので日本語での会話には困りません。しかし母は違います。母は父と結婚した後に日本に来ました。父に日本語を教わった母は簡単な日常会話しかできません。ですが明るい人柄の母は言葉の壁も気にしないので、日々の生活の中で困ることはありませんでした。


私が日本語を勉強し始めたのは四歳の頃です。こども園に入園するために日本語の勉強を始めました。それまでは全く話せなかったのですが、父が毎日教えてくれたので単語はどんどん覚えることができました。しかし、単語を知っているだけでは会話はうまくできません。私はほとんど日本語が話せない状態でこども園に入園しました。


こども園では友達をたくさん作りたかったのですが、やはり言葉の壁が大きかったです。なかなか友達の輪に入ることができず、寂しい思いをしました。いちばん辛かったことは、周りの人たちが自分の理解できない言葉で会話しているのを聞くことでした。先生が翻訳機を使ってくれたのですが、気を遣われるのが嫌でしたし、何より先生に申し訳ないと幼いながらも思っていました。だから私は、より一層日本語の勉強を頑張るようになりました。そのおかげで日本語が少しずつ話せるようになり、友達とも仲良くできるようになりました。そして今では全く問題なく日本語を使って生活できています。今の私は、学校では日本語を話し、家ではベトナム語を使います。三歳年下の弟はベトナム語が苦手なので、弟と話をするときは日本語を使います。


中学校二年生になったある日、いつもと同じように家族四人で夕食を食べていました。私と弟と父は、あるニュースの話題について日本語で盛り上がっていました。母は会話に入ろうと、「何について話しているの。」と何度も聞いてきます。話が盛り上がっているときにわざわざ通訳をすることが面倒だった私は、「あとで教えるから。」と冷たく返してしまいまし

た。でも母にとっては、それはとても辛いことだったのです。


「仲間外れにしないで。」

母は突然ベトナム語で大声で言いました。その瞬間、私たちはすごく驚き、みんな黙ってしまいました。食卓には気まずい雰囲気が流れ、私はこの雰囲気から一刻も早く抜け出したくて、急いで夕食を食べ、逃げるように自分の部屋に駆け込みました。自分の部屋に戻った私は、こども園の頃の自分を思い出しました。自分の理解できない言葉で会話されることがどれだけ辛いことか、私がいちばん分かっているはずなのに、なんであんな言い方をしてしまったのだろう……。私は母に冷たく言ってしまったことを心から後悔しました。それは父も弟も、そして母も同じでした。家族四人で過ごせるのは夕食の時間だけです。だから次の日私たちは、夕食のときはみんながわかる言葉で楽しく会話をしようと、四人で決めました。


この日から私たち家族四人は、日本語とベトナム語の二か国語を使って会話をしています。弟が母にベトナム語で話しかけたり、母も知っている日本語を使ったりすることもあります。私自身も、ベトナム語がわからないときは父に教えてもらいます。それまでの私は、いちいち通訳することは面倒だし、正しい文法が使えているのかばかりが気になっていました。でも家族で話しているうちに、楽しく会話ができればそれでいいんだと思えるようになりました。なにより楽しそうに話をする母の顔を見るのがうれしいのです。


今世界はグローバル化が進み、日本にいても様々な国の人と接することが増えています。コミュニケーションをとる上で言葉の違いは大きな壁ではありますが、大切なのは、この人と話したい、聞いてもらいたいという気もちで会話を楽しむことではないでしょうか。自分とは違う言語、文化、考え方の人たちを敬遠するのではなく、互いに理解しようと寄り添うことで無意味な争いが減り、世界はもっとつながり、新しい価値が生まれていくものだと思います。そんな大切なことを教えてくれた母に、私は今とても感謝しています。


(HP掲載について、編集・発行先より許可をいただいています)