学校日記

1月14日(日)体罰について

公開日
2013/01/14
更新日
2013/01/16

校長室便り

 自分が小さい頃、親や先生に殴られたり叩かれたり、大声でしかられたりすることがよくありました。その時は、とても嫌な思いをしていました。結婚をして自分の子どもを育てていくとき、手は出しませんでしたが大きな声で怒鳴ったことがあります。親としてそれが普通だと思っていましたが、家内の家と私の家の文化が違っていて、家内から「どうしてそんなに大きな声を出すの。それ以外にあなたの気持ちを伝える方法はないの?」と言われました。どきっとして自分の心の中を探ってみると、子どもが自分の思い通りにならないことにイライラして、冷静さを失っていたことに気づきました。

以下の文章は、自分が大好きなヒューマン・ギルドの岩井俊憲さんのブログに書かれていた体罰についての文章からの引用です。


体罰から学ぶもの

私は、体罰に効果がないことを宣言します。

体罰は、第1に子どもを面従腹背させます。
罰する人の前ではいい子になって、罰する人のいないところでは、悪いことをしでかすようになります。

体罰は、第2に子どもの器量を小さくします。
臆病になって、大人の顔色を見て行動するようになります。

体罰は、第3にエスカレートします。
ある体罰を科すと、子どもは以前を上回る悪さをします。すると、体罰は前回よりも重いものになり、その後はイタチゴッコ。際限がなくなります。

体罰は、第4に「勇気づけ」と最も遠いところに位置するものです。
相互尊敬・相互信頼とはほど遠く、子どもを支配し、子どもの依存性を助長するツールでしかありません。

体罰は、第5に伝染します。
体罰の環境の中で育った子どもは問題解決の方法として、暴力を採用するようになります。平和を乱すタネは、体罰の中にも宿っています。

私たち大人は、体罰を容認するいささかの姿勢も示さない良識を保ちたいものです。

私たち教育に従事する者にとって心すべきことは、カラ励ましや賞罰以上に大事な行動を教えること、それも言葉で行動を教えることでなく、行動で行動を教えることかもしれません。

感情豊かな子どもたちには、私たちの予想以上に物事が見えているのです。



 マスコミでいろいろと報道されますが、体罰をふるってしまった先生のことよりも自分自身を振り返るきっかけになりました。あす、学校へ行ってこのことを職員に伝えようと思います。