2月23日(月・祝)「普通」だらけの日本で【少年の主張愛知県大会より】
- 公開日
- 2026/02/23
- 更新日
- 2026/02/23
校長室
中学校に「夢と希望と」をテーマにした「令和7年度少年の主張愛知県大会」の発表文集が届きました。みなさんと同じ世代の子たちが今伝えたいことをぜひ読んでほしい!感じたことを友だちや学校の先生、家族に話してみてほしい!そんな願いからHP記事で少しずつ紹介していきます。今回紹介するのは、豊川市立御津中学校3年の生徒の作品です。
題:「普通」だらけの日本で
皆さんは「普通」と言われたらどんなことを思い浮かべますか。では、それは本当に「普通」でしょうか。
私は小学校四年から中学校一年まで男っぽい姿をしていました。ツーブロックにしたり、自分を僕やオレと言ったり……。そんな姿をしていたのは、「普通」の女の子の姿に嫌気がさしていたからです。
その頃、すでに世の中では多様性という考えが浸透していました。でも、それは表面上だけで現実はそうではありませんでした。学校ではイタイと言わんばかりの目。両親は否定的な言葉は言ってきませんでしたが、男の子みたいな服よりも何倍も積極的に「普通」の女の子の服を勧めてきました。そんな両親を見て、私へ「普通」を望んでいるんだと悲しくなりました。
結局、私は周りの目や圧力に耐え切れず、髪をのばし、女の子の服に戻し、僕から私に直しました。女の子はキティちゃんが好きだとネットで知り、キティちゃんを好きになりました。そうして私は「普通」になりました。
でも、周りの「普通」への圧力は性別だけではありませんでした。性格や考え方、癖、好きなもの、嫌いなもの、得意、不得意、特性。他にもいろんな「普通」がありました。考え方や癖が「普通」ではないと怒られ、嫌われ、悪口を言われる。性格や特性が「普通」じゃないと、変な目で見られ、面倒くさそうにされる。好きなもの、嫌いなものや得意、不得意が「普通」ではないと、笑われたり、ひかれたり。
私はそういうのが嫌でした。まるで自分を否定されているような、縛られているような感覚でした。特に日本という国は他の国より「普通」を重視し、みんなと同じにさせようとして、「普通じゃない」を敵視する意識が強いと思います。
「普通」とは、自分にとって都合のいいものや理想なのではないかと思います。だって相手の考えなどを「普通じゃない」と悪口を言うのは、自分の中の「普通」からはみ出ていると思うからで、都合が悪いからではないですか。「普通」は人によって違います。例えば私はバレー部に所属しています。皆さんは「パンケーキレシーブ」や「お見合い」の意味がわかるでしょうか。バレー経験者にはわかって「普通」ですが、未経験者にはわからないのが「普通」でしょう。だから、「普通」を押し付けるのは間違っているのではないでしょうか。「普通」に囚われず、違っていてもいいと思うのが大切なのではないでしょうか。好きなものや考え方を「いいじゃん」って認め合うことが重要だと思います。
しかし、私自身も、「普通」や「普通じゃない」と人に言うことがあります。私も多様性を完全には受け入れていないのでしょう。だからこそ私は、考え方や言い方を変えて「普通じゃない」を「面白い」、「すごい」にしました。
私の友達には、動きが独特な子がいます。周りからは「普通じゃない」「変」と言われます。私も初めは、急に変なダンスをしたり、腕を思わぬ方向に曲げたりするので「変」だと思っていました。でも、相手の考えを想像したり、話したりして、仲良くなると、「変」から「面白い」に変わりました。「変」と心のシャッターを閉めるのではなく、相手のことを知ろうとすることで、「普通」の幅が広がり、「普通じゃない」が変わるのではないでしょうか。
「普通」は生まれたときから組み込まれた機能だから無くすことはできないと思います。でも、その機能で傷つく人を見て見ぬふりはできません。だから私は「普通じゃない」というのではなく、「すごいね」「面白いね」「いいね」と言い合える未来にしていきたいです。
(HP掲載について、編集・発行先より許可をいただいています)