2月15日(日) 思いを繋ぐヘアドネーション【少年の主張愛知県大会より】
- 公開日
- 2026/02/15
- 更新日
- 2026/02/01
校長室
中学校に「夢と希望と」をテーマにした「令和7年度少年の主張愛知県大会」の発表文集が届きました。みなさんと同じ世代の子たちが今伝えたいことをぜひ読んでほしい!感じたことを友だちや学校の先生、家族に話してみてほしい!そんな願いからHP記事で少しずつ紹介していきます。今回紹介するのは、小牧市立桃陵中学校3年の生徒の作品です。
題:思いを繋ぐヘアドネーション
「ヘアドネーションって何?」クラスメイトとの会話で出てきたこの言葉に私は衝撃を受けた。それは中学生になって初めて出会ったクラスメイト達に私がロングヘアである理由を聞かれたときのことだった。
ヘアドネーション(略してヘアドネ)とは、がん治療や脱毛症等様々な理由により髪の毛を失った人々に対し、寄付された髪を用いてウィッグを製作し、無償提供を行う活動である。一人分のウィッグを作るためには約三十人分の髪が必要で、長さは三十一センチ以上であることが条件だ。しかも、三十一センチの髪を寄付しても出来上がるのはショートヘアであるため、ロングヘアのウィッグを作るためには更なる長さが必要となる。
過去に一度ヘアドネを行ったことがある私は、その時当然誰もが知っているものと思い込んでいた。だから、自分の経験談に興味が無さそうなクラスメイトの様子や、認知度の低さにショックを受けたのだ。
当時小学六年生だった私は約五年間伸ばし続けた髪を医療用ウィッグにしてもらうため寄付をした。ヘアドネを決意したのは、私が小学一年生のときだ。きっかけは「髪の毛を失って困っている人達を助けてみない?」という母の言葉だった。続けて母が語ったのは私が生まれるまでの八年に及ぶ不妊治療の記憶だった。治療を始めて二年目に初めて妊娠したが、子宮頸管妊娠という非常に珍しい疾患により、私の兄か姉になっていたであろう子供は諦めざるをえなかった。長年に渡る辛い不妊治療を経てようやく授かった初めての命を諦めなければならないうえに、子宮や自分の命まで失うかもしれない現実に、母は深く悲しみ苦しんだそうだ。そんな失意の中で母を励ましてくれたのは、がん治療のため入院していた患者さん達だった。自分達も辛いはずなのに寄り添い励ましてくれた同室の彼女達に母は救われていた。そんな中、彼女達が話していた「髪が抜けて辛い。」という言葉がずっと母の心に残っていたのだ。
母からありのままを打ち明けられたので、幼かった私は、最初戸惑った。しかし、彼女達のおかげで今の私があるということに感謝の気持ちを感じた私は母の提案を受け入れることにした。それからは家族総出で日頃の手入れを欠かさず、一番長かったときにはドライヤーで温風と冷風を交互にあて、三十分かけて丁寧に乾かした。髪が長くなるにつれ母が毎日のようにヘアアレンジを変え、小学校ではそれに気づいたクラスメイト達が話しかけてくれるようになった。以前は人見知りだった私だが、髪のおかげで友達がたくさんでき、人生が変わった。「たかが髪」かもしれないが、私は「髪の毛は大切」だと実感した。
小学六年生の頃には私の髪は太ももの辺りまで伸びており、私のトレードマークになっていた。「断髪式」当日は新聞記者の人に来てもらい私のヘアドネは地元ページの記事になった。寄付した髪は六十センチになっていた。私はどうしたら世の中のより多くの人達にこの活動を知ってもらえるかを考えた。その結果、報道の力を借りることにした。だが、新聞に自分や家族の名前と顔写真が載ることは正直躊躇した。それでもヘアドネの認知に一役買えるのならば後悔はないと考えた。ただ長年手入れをしてきた愛着もあって、いざ髪を切ろうとすると寂しい気持ちになり、そのとき初めて髪を失った人達の気持ちが分かった。
最近、人権問題、多様性というワードをよく耳にするようになった。もし髪がなくても恥ずかしくない、気にする必要がないという世の中になれば、それが理想的な社会なのかもしれない。しかし、まだまだウィッグを必要としている患者さんは多いのが現実だ。私は現在二度目のヘアドネに向けて再び髪を伸ばしている。そしてこの作文をより多くの人に読んでもらってヘアドネの認知をしてもらい、更には参加してもらいたいと考えている。
私一人がやれることは小さいかもしれないが、この活動をより多くの人達に知ってもらい、一人でも多くの患者さんにウィッグを届けることができるよう、今後もこのボランティア活動を続けていきたい。一人でも多くの患者さんが笑顔になることを願って。
(HP掲載について、編集・発行先より許可をいただいています)