10月23日(木) 聖徳太子の国づくり【1年社会】
- 公開日
- 2025/10/23
- 更新日
- 2025/10/23
1年
1年生の社会の授業のようすです。「聖徳太子や蘇我氏の国づくりについて知ろう」というめあてで学習を進めていました。
聖徳太子と蘇我氏の国づくりのポイントは、飛鳥時代の天皇中心の統一国家を目指す動きと、それに絡む豪族の勢力を理解することです。
聖徳太子、推古天皇(すいこてんのう)の摂政(せっしょう)として、天皇中心の政治の仕組みを整えることに力を尽くしました。 天皇中心の政治の実現するために、冠位十二階(かんいじゅうにかい)の制定を行いました。家柄ではなく、個人の能力や功績によって役人としての位を与える制度を設けました(603年)。これにより、豪族の勢力に頼るのではなく、天皇に仕える優秀な人材を登用し、天皇中心の政治体制を強化しようとしました。
また、十七条の憲法(じゅうしちじょうのけんぽう)の制定もおこないました。役人の心構えを示したもので、「和(やわ)を以(もっ)て貴(たっと)しとなす(争わず仲良くすることが大切だ)」という一文が有名です(604年)。天皇の命令に従うことや、仏教を大切にすることなどを説き、役人や豪族に天皇中心の政治を支えるよう求めました。
大陸文化や政治を取り入れることも行いました。その1つに遣隋使(けんずいし)の派遣があります。進んだ政治の仕組みや文化を学ぶため、小野妹子(おののいもこ)らを当時の中国王朝である隋(ずい)に送りました。これは、日本が隋と対等な立場で外交を行う意思を示したものとしても重要です。また、仏教も推進しました。仏教を大切にし、法隆寺(ほうりゅうじ)を建てるなど、仏教の力で国を治めようとしました。
蘇我氏はどんな国づくりを進めたのか、学びを深めるのが楽しみですね(^^)/