「人権週間にちなんで」12月3日・朝礼での校長先生のお話(いじめ対策)
- 公開日
- 2012/12/03
- 更新日
- 2012/12/03
人権教育・いじめ対策
「人権週間にちなんで」
平成24年12月3日(月)
持久走大会にむけて、みんながんばっていますね。
体育の時間になると、「○○君 がんばれー」といった応援の声まで聞こえてきます。
苦しいときに応援してもらうと、また力がわいて、走ることができたりします。そういう
応援の声を、萩原小学校の人は、自然に、男女関係なく出すことができます。とてもすばらしいし、大切なことです。
走ったり、試合をしたりするスポーツ以外でも応援できていますか。だれかが困っているときや、悩んでいるときに、「がんばれ」とまでは声に出さないまでも、その悩みを自分のこととしてうけとめて聞いてあげたり、いっしょになって考えてあげたりするのも、応援の一つだと思います。
今から、先生は自分のことをまとめてきたことを話します。
私は5年生の秋に、初めて学級委員になりました。「自分なんかがどうして」という気持ちと選んでくれたみんなに、恩返しの意味でも、もっともっと良いクラスにしたいと、そのときは思いました。
今から振り返ると、笑えるくらいはり切ってしまっていました。はりきりすぎて、与えられたことや、学級委員としての一般的な仕事だけやっておけばいいのに、ときどき担任の先生の代わりになったつもりで、担任の先生がいないときなど、やかましい子や暴れている子を注意しまくったり、友達に対して、「あそこがいけない。ここがだめだ。」といった、駄目出しまでしていました。
当然みんなから、反発をかいます。「先生でもないのに黙っとれ。」とか、「うるさいやっちゃなあ。」と言われ、だんだん友だちが離れていくのがわかりました。その頃はあまり
「いじめ」ということばは使われませんでしたが、子ども心に「自分は嫌われている」と
感じました。担任の先生でさえ、「おっ、今度の学級委員はうるさいぞ。おそろしい子だぞ。」とからかう始末でした。
特に5年生の3学期は、先週お話しした持久走大会の65人中61番という結果とみんなに嫌われているという実感で、全く楽しくありませんでした。孤独感や疎外感を感じながら、半年間学級委員を続けましたが、6年生になったときも、持ち上がりといって、クラスも友だちも一人として変わることなく、いっしょでした。担任の先生も同じでした。
1学期の学級委員選挙でも、もちろん1票も入りませんでした。自分としては、当然の結果だなあと思いました。
落ち込む私を救ってくれたのは、サッカーでした。特に6年生の2学期になると、対抗試合をめざして、毎日遅くまで練習することになり、私も一生懸命取り組みました。とに
かく12月にある試合に選手として出たいという一心でした。練習していくうちにサッカーという競技が、いかにチームプレーが大切な競技であるかが、わかりましたし、チームに貢献するとか、チームが勝つようにするためには、どうすればいいのかということを考えていくうちに、とにかく自分がもっと上手になることだと気がつきました。人のことをとやかく言う前に、まず、自分がしっかりやることが大切だとか、人をせめたり、駄目出ししたりするよりも、人の失敗をカバーできるぐらいのうまさを身につけるべきだと思いました。そして、それからも一生懸命練習に取り組みました。
おかげで12月の試合には勝つことができ、ひとつの試合では決勝点を入れることができた自分にも、少しずつ、力や「がんばればやれるんだ」といった自信のようなものがわいてきました。持久走の個人練習をがんばって12番まであがれたのもちょうどその時期で、そんな自信の表れだったように思います。
私は人に対して、学級委員として、接し方がうまくいかずに、みんなに嫌われてしまいましたが、まず自分がサッカーをうまくなることを目標にし、人のことを悪く言う前に、自分を高めることが大切なんだということに気付きました。
今週は人権週間です。私が感じていた孤独感や疎外感というのは、おそらく今では、
「いじめ」として扱われるものだと思います。私は運よくサッカーというスポーツに出会い、自分を高めようとしたことで、その孤独感や疎外感から抜け出ることができました。
しかし、だれしもがそんなに簡単に心の回復をすることはできません。立ち直るきっかけに恵まれないことも多くあります。まず大切なのは、いじめにあって困ったり、さびしい気持ちになってしまう人をつくらないよう、お互いが周りの人のことを気遣うようになることだと思います。
また、私のように、きっかけを待って、何日も何日も苦しい状況をがまんしたりせず、早く先生や家族に話して、解決するようにしてください。
萩原小学校のみなさんの、やさしく、思いやりのある応援の声が、これからも一人ひとりの心に届いていくことを願っています。