6月13日 1年生道徳の時間から
- 公開日
- 2013/06/13
- 更新日
- 2013/06/13
こころを育てる
1年生の道徳の様子です。今日のテーマは「礼儀」。資料は「一枚のはがき」でした。
道徳の時間は、お話の、その時、その時の、主人公のの心情、判断、思考に思いをはせ、さまざまな価値観をつないでいきます。それをとおして、今までの自分の行動や考えを振り返り、新たな「気付き」を発見する時間でもあります。
「あの時もっとこうすればよかった。」「心ではわかっていてもなかなかそれを言葉や行動にできなかったなあ。」そんな思いを持てた時、実は、心が大きく成長できた瞬間です。
資料を紹介します。
一枚のはがき
今は町名改正で,神山町になっていますが,私の亡父の郷里は,徳島県名西(みようざい
郡上(かみぶん)上山村(かみやまむら)という,剣山(つるぎさん)に近い山村でありました。 私の家族は,大阪に住んでいましたが,叔父や叔母たちは上山に住んでいました。
私は学生時代のある夏,二人の友人を誘って剣山登山を計画しました。 大阪から船で小松島(こまつじま)に渡り,汽車で徳島へ出て,あとは乗り物も利用しない,宿屋にも泊まらないキャンプだけという計画でありました。 三人のリュックサックは,キャンプ用具と食糧その他で,途方もなく重たくなってしまいました。リュックサックをかつぐと,肩の前あたりの筋肉が圧迫され,しびれて血液の流れも止まってしまいました。リュックサックをかついで立っているだけでも苦痛でした。そこでリュックサックの荷物を取り出して,両手でさげるように荷づくりをし直しました。とにかく大阪を出発し,徳島までたどり着くことができました。そして第一日めは,どうやらこうやら鮎喰川(あくいがわ)に沿って,かたつむりのようにノロノロと歩きました。
予定よりもはるかに手前で,最初のキャンプを張ることにしました。 第一日の行程から考えてみると,上山村に到着するまでに,何日かかるか想像もつきません。三人は相談した結果,私の叔父の家のある上山までは,歩くのをやめてバスに乗ることにしてしまいました。
翌朝,バスで楽々と上山まで行ってしまいました。 上山村といっても実に広いのです。バスは上山村の川又(かわまた)という字(あざ)で終点です。叔父の家は中津(なかつ)
という字にあるのです。 川又から中津まで六キロほどありました。 三人はしかたなしに,重いリュックにあえぎながら歩いて,叔父の家にたどり着きました。 叔父の家では,おいが友達を連れて,はるばるやってきたというので,大歓迎をしてくれました。ニワトリをつぶすやら,ウナギを焼くやら,下へも置かぬもてなしです。友人がキャンプを張ると言っても承知しません。 座敷にふとんを敷いて,蚊帳をつってくれました。毎日,おはぎやすしを作ってくれたり,田舎ながら精いっぱいのごちそうをしてくれました。 私たちはよい気持ちで三日間を過ごしました。
それから,三人は剣山登山を決行しました。荷物は整理して軽くしてしまいました。
出発の朝,叔父は三人の荷物を一つにまとめて,次の村の峠の上まで汗だくで運んでくれました。いくら荷物の整理をしてあっても,三人の荷物を一緒にすると,相当な重量でありました。無事に帰って,そして二週間も三週間もたってからのことでした。 叔父から,父にはがきが来ました。こんな意味のことが簡単に書かれてありました。
−−過日は,おいとその二人の友人が来て,わが家一同は大喜びであった。田舎のことで,たいしたもてなしもできなかったが,みんなとても喜んでくれていた様子である。 出発の朝,三人の荷物を隣村の峠まで運んだが,力自慢の私にとっても大仕事であった。しかし,それはともかく,家内や子どもたちも,三人からのその後の便りを待っているが,一枚のはがきも来ない。お礼状を催促するつもりではないが,このごろの若い者はのんきなものだ−−。
私はそのはがきを父から見せつけられて,汗顔赤面(かんがんせきめん)してしまいました。 私は,自分が,はがき一枚出していないことを棚に上げて,なぜ二人の友人が,お礼状を出してくれなかったのかと恨む気持ちにさえなっていました。叔父は,自分の兄に出す便りですから,遠慮気がねもなく,あっさり書いているのです。別段,おいやその友人を恨みがましく思っているわけではありません。 けれども,私は誠心をもって私たちをもてなしてくれた,叔父家族の心を傷つけたことが,深く悔やまれてなりませんでした。
何年かたって私も父親になってから,私は自分の子どもには,事あるごとに「お礼状を忘れるな。」と厳しくしつけています。
しかし,自分の学生の時の失敗はまだ子どもに話したことはありません。隠していたわけではないのですが,この原稿を書くまで忘れてしまっていたのです。荷物をかついでくれた叔父も三年前の秋の終わりに死んでしまいました。(明るい人生より)